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2010年12月

2010.12.30

島根と鳥取の見分け方

今年も、明日から島根の実家に帰省してきます。
今回は期間が短く、なんだか交通費がもったいないような気もしますが、まあ、親孝行ですね。
東海道新幹線で東京から岡山まで。
岡山から、特急やくも号に乗って、中国山地を越えます。

さて。
関西方面の方は、鳥取へはカニを食べに行くせいか、山陰地方の2県、島根と鳥取はだいたい区別がつくようです。
東京にくると、ダメですね。
「ナメとんのかい!」
っていうくらい、多くの人が島根と鳥取の区別がつきません。

この区別のしかた、何かいい覚え方はないものかな、とずっと思っています。
そうしないと、
「砂丘があって、出雲大社があって、あ、ゲゲゲ!」
って、すっかり2つでひとつみたいに思われたままです。
みなさーん、覚えていますかー。
こないだ、鳥インフルエンザが見つかったのは島根県ですよ~。

これが、鳥取。
Tottori

で、これが島根。
Shimane

最近聞いた「覚え方」。
”鳥取は、「TOTTORI」で、「R」がついているから、右側”
なるほどー。
要は、右か左か、ってことなんですね。

じゃあ、バカリズム方式で、
”右手で持ちやすいのが鳥取、左手のほうが持ちやすいのが島根”
っていうのもありですかね。

まあ、地図見ると、「大きな湖があるのが島根(宍道湖)」っていう特徴もあるかもしれません。
とりあえず、バカリズム先生のご意見をうかがってみようと思います、そのうち。

というわけで、よいお年を。来年もよろしく。

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2010.12.28

本屋さんを思い出してみる

なんでも大阪・梅田に日本最大の本屋さんができたそうな……。
「日本最大の本屋さん」記録、ここんとこ更新しっぱなしだよな……。
でかけりゃいいってもんでもないんだけどな……。

僕の場合は、梅田だったらやっぱり紀伊國屋書店!
村上龍も、村上春樹も、山川健一も、橋本治も、伊藤比呂美も、みーんな梅田の紀伊國屋さんで出会いました。その恩は忘れません。

思えば、あちこちに住みましたが、その土地その土地の本屋さんは強く印象に残っています。
まずは、生まれ育った島根県は安来市から始めなきゃいけないだろうなー……。

当時、安来市の本屋さんといえば、誰がなんと言おうと、松江や書店。
キャッチフレーズは「太郎花子の松江や書店」。
なぜ安来なのに「松江や」だったんだろう?
しかも「や」はひらがな。
こんど聞いてみたいですね。

いまやすっかり色褪せてしまった、かつてのメインストリート商店街にありました。
幼稚園の頃、毎月講談社の『たのしいようちえん』という雑誌を買ってもらっていました。
それも、お届けしてもらっていたのです。
自転車に乗ったアルバイトのお兄ちゃんが配達してくれるのを、毎月家の前に出て待っていました。

少し大きくなると、自分でお店に行くようになりました。
小学校の4年生くらいがピークだったんじゃないかな……。
『週刊少年マガジン』の『釣りキチ三平』にはまって、毎週立ち読みに通いました。
ついでに、他のマンガ雑誌もパラパラめくって。
永井豪のエッチなマンガがあって、『けっこう仮面』とか『いやはや南友』とか。
お店の人に見つかるんじゃないかとハラハラしながら、でもやっぱり興味あるから読んじゃうんだよね。
当時、安来市の少年たちは、みんな「松江や書店」で性に目覚めたのではないでしょうか?

6年生くらいで、初めて文庫本のコーナーに立ち入ったときはショックでした。
それまで文庫コーナーは、なんとなく子どもがいっちゃいけないコーナーのような気がしていました。
そしたら、作家の名前や、本のタイトルだけ知ってる本が棚いっぱいに詰まってる!
しかも、安い!
すげえ発見をした、と思って興奮しました。
最初に買った文庫本は、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』でした。
当時、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが流行ってたんです。その流れで。

のちに、国道沿いや、新しいショッピングセンターの前などに支店を出したりしていたのですが、残念なことにすべて閉店、廃業してしまいました。

かつての本店、お店は閉まっていますが建物はあります。
数年前に一度、社長さんに用事があって店に入りました。
もう品物はほとんど置いてなくて、薄暗くて、記憶にあるよりずっと狭いお店でした。

立ち読みに通ってた頃は、お店の中に活気があったよなー。
立ち読み小僧たちの隙間を、店員さんが本を持って、忙しそうに働いてたもんなー。
しかし、幼少期の僕にとってかかせないスポットであったことは間違いありません。

うーん、本屋さんの思い出か。
長いぞ。
続ける?

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2010.12.19

ギターオヤジにおすすめの本『僕らが作ったギターの名器』

『僕らが作ったギターの名器』
椎野 秀聰 (著)

著者は「サウンドデザイナー」。音楽を愛し、音楽を奏でる楽器を愛し、ギターをメインに各種楽器の設計を行ない、世界的にも知られた「職人」さんです。

懐かしい国産メーカーでは、グレコ、アリア、フェルナンデス、モーリスなどのギター設計に携わっています。
どうですか、このブランド名の響き。
かつてのギター少年たちは、思わず涙してしまうラインナップ。
さらには、アメリカのギブソン、フェンダーという2大メーカーからも、インスペクション(精査、点検)の依頼を受けます。
すげー。こんな日本人がいたんだ!

著者の立ち位置は、いわゆる「職人」の仕事を限りなくリスペクトしながらも、とても自由なもの。
ギターシンセサイザーが普及しなかった理由を、
「音を楽しむ”音楽”ツールとしては、程遠い楽器だったから」
と喝破。

ヘリコプターの翼のメーカーが製作したギター、オベーション(ボディが木材ではなく、カーボンファイバーでできている)が話題になったときも、
「これはダメ!」
と酷評。
「木材同士でも相性があり組み合わせは難しいのに、カーボンファイバーと木材を併用するのは、どう考えても無理で、一過性の物珍しいギターで終わる」
と予想しています。

ギターに関する知識がある程度ないと、わかりにくい表現だらけでしょうが、多少知っていると、これは面白い。
僕たちが少年だった頃にあこがれていた当時の日本製ギターの背景。
そして、今も「名器」と言われるギターの構造的な理由。
世界中のギター、バイオリン工房を見学して回った著者のバイタリティにも脱帽です。

ギターをめぐる「モノづくり」の奥深さと、すさまじさを目の当たりにした思いです。
かつてのギター少年たちに、ぜひ読んでもらいたい一冊です。

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2010.12.18

「ありがとう」を言う習慣

※この話、以前にもこのブログで書いたような気もするんです。もしそうだったら、「オッサン、ボケよったな!」とコメントをお願いします。

今から20数年前、生まれて初めての海外旅行は、ニューヨークでした。
もちろん、英語なんてしゃべれませ~ん。まあ、なんとかなるだろうと気楽に旅立ちました。

そして、ありがちですが、UA機内の「Tea or coffee ?」にいきなりつまづきました。
「コーヒー!」
「カフィー!」
「カーフィー!」
はあ、コーヒー一杯もろくに頼めないのかオレは、とがっくりしました。
(で、この旅の間中、コーヒーは飲まずに、発音が簡単な「コーク」だけを飲んでいたのでした)

また、道端の簡単なピザ屋さんに入ったときも、苦労しました。出口で支払いの金額がわからない。
店員さんがイタリア訛りみたいで、数字が聞き取れないんです。
運の悪いことに、金額が表示されないタイプのレジでした。
(もっとも、レジがあるお店でも、税込の表示をしてくれないので、カンで払っていたのですが)
これも後で落ち込みました。おいおい、数字もわかんないのかよ!

そんな初めての海外経験だったのですが、帰る頃にはようやく会話のコツがわかってきました。
ふつうに買い物して、街をブラブラするのであれば、
「Thank you」
「You're welcome」
「Excuse me」
の3つでだいたい事足りるんです。あとは笑顔。
ニュー・ヨークにいた短い期間に、いったい何回「サンキュー」を言ったんだろう、と思いました。

で、思ったんです。
オレは日本で「ありがとう」って言ってるか?

NYでは「サンキュー」と言っていたシーンを、
「すみません」
「ああ、はい」
「どうも」
といったあいまいな言葉で濁していることが、いかに多いかに気がついたのです。

たとえば、閉まりかけのエレベーターのドアを、中の人が開けて待っていてくれたとき。
たとえば、ラーメン屋さんで、店員さんがお水のお代わりを持ってきてくれたとき。
たとえば、買い物をして、包装された商品を受け取るとき。
明確に「ありがとう」とは言っていなかったんです。

で、僕は「ありがとう」をできるだけ言ってみることにしました。
「すみません」と言いそうになるのを、ぐっとがまんして「ありがとう」。
「ありがとう」は不思議な言葉で、ニッコリ笑ったほうが言いやすいんです。
だから、笑顔で「ありがとう」。
「ありがとう」と言われて怒る人はいません。できるだけ使うようにしていると、習慣、口癖になるんです。

誰かにほめられることもなく、自分ひとりで「ありがとう」運動を続けてきました。
あのニューヨーク以来、ずっとです。

そしたら。
思いがけないところに、思いがけない効果が表れました。

子どもたちが先に眠っている寝室に、仕事を終えてそっと入ります。
隣りの次男が、布団を蹴飛ばして、妙なところに転がっています。
「やれやれ」
抱きかかえて元の位置に戻し、布団をちゃんとかけてやりました。
すると、彼は眠ったまま、寝言のように、
「ありがとう」
って言ったんです。

おー、こりゃすげえ。びっくりしました。
父さんは気がつくのがずいぶん遅かったのですが、このまま「ありがとう」が口癖の大人になってほしいものです。

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2010.12.11

アザラシのためのコンサート!

椎名誠さんの本を読んでいたら、とても興味を惹かれるエピソードがありました。

『ごんごんと風にころがる雲をみた。』椎名 誠

(以下の記述は基本的に上記書籍を参考にしています)

スコットランドにアイラ島という、美しい島があります。
ここに、フィオナさん、という女性が住んでいます。
フィオナさんは、自分のボートで岩だらけの島の中に入っていき、手ごろな岩山に上陸し、バイオリンを取り出して演奏を始めます。
すると、その岩を取り囲むようにたくさんのアザラシが海から頭を出し、「真剣な眼差し」で演奏を聴くのだそうです。

バイオリンの演奏をするだけで、餌をやるわけでも、声をかけるわけでもない。
なのに、演奏が始まるとアザラシたちが集まってきて、「シアワセそうにそれぞれ丸い頭をゆするようにして」音楽を聴き、終わったら海の中へ消えていくのだそうです。

なんか、いいなあ。

調べてみたら、この話は有名みたいです。「アイラ島 アザラシ」で検索すると、けっこうたくさんの人が、このことについて書いています。
フィオナさんによる本も、翻訳されていました。

『海からのメッセージ スコットランドのアザラシと音楽家の物語』
フィオナ (著), 熊谷 鉱司 (翻訳)

実は週明けの月曜日、友人の松阿彌靖くんが、新しいCDを作ったというので、発売記念ライブがあります。
そのオープニングに、20分ほど時間をもらい、一人で演奏することになりました。

お客さんが、アザラシみたいにちゃんと聞いてくれるかどうか、かなり心配であります。

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2010.12.07

映画「ゲゲゲの女房」、やるなクドカン。

映画「ゲゲゲの女房」を観てきました。
「ゲゲゲの~」は2010年の新語・流行語大賞にもなりました。
僕は、朝の連続テレビ小説のほうは、きちんと観ていません。なので、比較のしようはないのですが。

でも、まず見た目の段階で、宮藤官九郎が圧倒的に有利な気がします。向井理が水木しげるって、いい男すぎる。ま、これは多くの人が抱いた感想でしょうね。
吹石一恵は、目鼻立ちがどことなく松下奈緒に通じるところもあり、ドラマを観た人にも違和感が少ないかも。

映画版、とても面白かったですよ。
「ストーリー展開当時の史実や再現にも力が入れられたテレビドラマ版と異なり、映画の表現として、今の風景の中で昭和30年代を演じることをコンセプトとしている」(Wikipedia)
これが、なかなかよかったんです。今現在の街並みの中で撮影されているのが、適度な「ねじれ感」を起こしていて、この映画にマッチしていたと思います。
映画のほうがドラマよりも先に企画されていて、春にはクランクアップしていたんですね。

さて、以前にもブログに書きましたが、「ゲゲゲの女房」の実家がある、島根県安来市は、僕の故郷でもあります。
水木しげるの故郷、鳥取県境港市も、小さい頃からなじみのある街。
そんなわけで、思い入れが強い作品なのです。

どうもみなさんが勘違いしているので、もう一回、おさらい。
布枝さんの実家は、島根県。
水木しげるの実家は、鳥取県。
ただ、両方県境の町なので、近いのです。
大丈夫ですか? 島根と鳥取、区別ができてますか?

さて、テレビアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」がブームになったのは、僕が幼稚園の頃でした。
時期としては、「ウルトラセブン」と重なっていました。
祖母に連れられて行った歯医者さんの待合室に、雑誌『たのしいようちえん』の別冊、「ウルトラセブン、ゲゲゲの鬼太郎特集号」というのが置いてあって、それだけを楽しみに通ったことを覚えています。
「ウルトラセブン」と「ゲゲゲの鬼太郎」。
無理があるような、ないような。
原作者が境港出身だと知ったのは、もっとずっと後のことです。

しかし、まさに「ゲゲゲ世代」。
先月、小学校でPTA主催のお化け屋敷があったのですが、迷うことなく「ねずみ男」の役をやらせてもらいました。
いいよねー、ねずみ男。
そしたら、昨日配られたPTA新聞に、ねずみ男の扮装をした僕の写真が載せられていました。やられた~。
全家庭に配布。さっそく「ねずみ男、おつかれさま」というメールが、お母さん友達から届きました。
うーん、やられた~。

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2010.12.05

ケンタッキーフライドチキンカレー

最近、こんな本を読みました。

『僕たち、プロレスの味方です』ユリオカ超特Q;ケンドーコバヤシ (著)

冒頭のケンドーコバヤシさんのパートで、こんなエピソードが紹介されていました。
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(かつて、プロレス雑誌に、小林邦昭さんの料理コーナーがあった、というくだり)
そのコーナーで紹介されるのが、まさに男の料理。ホントにシビレましたよ。

カレーの作り方なんですけど、最後の工程が、<ケンタッキー・フライドチキンを買ってきて、千切って放り込む>って書いてあるんですよ。<ケンタッキーは、鍋に入れてもうまいぞ!>って。いやいや、小林さん、そんな豪快な料理レシピを生まれてこのかた聞いたことありませんよ!

これはスゴいと思って、小林さんのレシピで実際にカレーを作ってみたんですよ。
もう、腰を抜かしましたね。最後にケンタッキー放り込んだら、本当にウマくてね。
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小林邦昭さんとは、新日本プロレスで初代タイガーマスクのライバルとして抗争を広げ、「虎ハンター」と呼ばれたプロレスラーです。
この小林邦昭さんが、料理が得意だ、ということは知っていました。
しかし、このカレーは知らなかったなぁ。
新日本プロレス、道場の味!

食べてみたくなりません?
作ってみたくなりません?

作ってみました。

まず、ふつうに野菜だけのカレーを作りました。ルウは、ハウスバーモントカレーだよ~♪
いただきもののメイクイーンがあったので、じゃがいもは切らずに丸ごとを3個。
あとは、玉ねぎとニンジン。
そして、買ってきました。ケンタッキーフライドチキン。ノーマルのを3個。ポテトはいらないぜ。

野菜カレーができあがったところで、フライドチキンを投入。
「具がゴロゴロ」してるカレーが食べたかったので、チキンはちぎらずに、そのままぶち込んでみました。
さらに煮込むこと、10分くらいか?
おいしそうなカレーができました。

一皿に、じゃがいも丸ごと一個、フライドチキンが丸ごと一個。あとの具は煮崩れちゃってドロドロ。
おいしそうじゃん?

子どもたちに、
「今日のカレーには秘密があります。なんでしょう?」
と聞いてみたのですが、気がつきませんでした。
でも、なんか、ふつうにおいしいカレー。ケンタッキーフライドチキンは?

思うに。
ケンタッキーフライドチキンの衣部分のスパイシーさが、カレーに合うんだと思うんです。
チキンを入れてから、煮込みすぎたかもしれません。香りが飛んじゃいました。
温めたチキンを放り込んで、即火を止める、くらいのほうがいいのかも。

それと、ハウスバーモントカレーとの相性がいまいちだった。だって安売りしてたんだもん。
もうちょっとキレのあるルウのほうが合うのかもしれません。

でも、またチャレンジしてみたい、というくらいには十分おいしかったです。
小林邦昭さん、ケンドーコバヤシさん、ありがとう!

あ、写真は撮ってないのよ。
どうも、料理を食べる前に写真を撮っておく、っていうことができなくて。
だって、冷めちゃうじゃない?

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2010.12.03

Twitter ってすごい!

今年の2月から細々とはじめてみた Twitter。
とにかく、情報が早いです。
新聞記事が、ものすごく遅く感じるくらい。
もちろん、ウワサの出元は確認しなければなりませんが、とにかく、早い。

ただ一方で、たくさんの人の「つぶやき」を読むのには、ものすごく時間を取られます。
最近では、時々のぞいてみる、といった程度にとどめています。

ツイッターで、思いがけないものに出会いました。
オススメのライブ情報とか、映画とか、本とか。
たとえば、こんな本。
『あたらしいみかんのむきかた』岡田 好弘 (著), 神谷 圭介 (イラスト)

-------(以下、アマゾンの紹介文です)
みかんの皮に切れ目を入れてむくと動物の形になる、
「あたらしいみかんのむきかた」を紹介する工作絵本。

みかんに掲載図のとおりに線を描き込み、
そのとおりに工作ばさみやカッターなどで切り抜けば、
どうぶつの形ができあがります。
ねずみ、うし、とら、うさぎなど干支を中心に
全25作品の作り方を紹介。

主人公の「むきおくん」が、みかんの皮をむきながら、
むきかたのポイントなどを解説。
みかんをむいて、物を作る楽しさが感じられます。

みかんの無い季節でも、夏みかんなどで代用して遊べます。
-------

アマゾンのリンク先を見てみてください。どういうことなのかがよくわかる、動画があります。
これは、やってみたい!
早速買ってきました。ツイッターがなければ出会わなかった本です。

そうかと思えば、最近、ツイッターですごい再会がありました。
30年会っていなかった小・中学校の同級生が、僕を見つけてくれました。
10年前にバルセロナにわたり、まもなくイギリスに移住するんだそうです。
インターネットがなければ、まず再会などありえなかったはずです。

しかし、そんな奇跡的な出会いでありながら、会話の内容は小学生並み。
ちょっと手を加えて、紹介してみますね。

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【本棚登録】『僕たち、プロレスの味方です』ユリオカ超特Q;ケンドーコバヤシ http://bit.ly/dTc81b
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あれ?ちかちゃん(僕の小さい頃の呼び名です)もプロレスファン?俺も相当なもんだけど、もう何年も見てない。一番見たのは鶴龍戦!見に行ったなあ。ドームのビッグマッチも殆ど行ったよ。最初のWWFも
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「日曜昼12:00からのプロレス中継」が、僕の原点。家族がのどじまんを見ながらご飯食べてる時に、一人で別の部屋に行って、アントニオ猪木を見ていました。あれが思春期の始まりだったのかもね。小学校5~6年生?
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猪木も見てたよ、でも俺は全日。新日の社訓が闘魂、全日のは臨機応変。幼少のころ祖父母と国際プロレスを見てプロレスのいい加減さを肌で感じたのかもしれない。笑って見るタイプだった。でも猪木の最初のダーを生で見て、持って行かれた。引退試合も妊婦の妻を連れて行ったよ 笑
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ほー相当マニアックだね~。小学校や中学校では、猪木の話ができる友達が見つからなかったんだよ。きみとだったら話が合ったのかもね、あの頃。そういう擦れ違いって、今頃になって気づくんだよなー。あ、亡くなる直前の馬場さんインタビューに同席したことあるんだよ!自慢。
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凄いじゃん!俺は世界最強タッグ最終戦武道館でハンセン・ゴディ組が優勝して、ゴディがリングサイドに下りてきて雄たけびを上げたとき俺は抱きついて、パイプ椅子三列分吹っ飛ばされた。超満員の1万6千人の観衆はそれを見て「おおー!」めちゃ気持ちよかった!自慢!
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それはすげーなー! 事務所で会った馬場さんは、半端じゃなくでかかった。応接ソファ越しに、スリッパを履いた馬場さんが足を組み替えたんだけど、俺の目の前をスリッパがかすめて通った。見方によっては、16文キック未遂? 自慢!
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未遂とは残念! 武道館でグッズ売り場に行くと物凄い人だかり。友達と「あ、ジャンボのTシャツだ!」「馬場のもあるぜ」「馬場もう直ぐ死んじゃうかもしんないから買っとくか!」と大声で言ってたら、売り子の横に馬場が座ってた。それ見て俺馬鹿笑い、若手レスラーに叱られる自慢!
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だいぶ分が悪いね。えーっと、馬場さんインタビューで「神戸の震災のあと、ファンクラブ会員の被害宅をご自分で回られたそうですね?」と聞いたら、「なんで君はそんなこと知ってるんだ! そういう話は表ざたにしたくないんだ!」と言われた自慢…そろそろ限界かも。ギ…ブ…。
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プロレスでギブアップ負けはピンフォールより軽く見られている。また、バカプロレス話さいや!何でもバカ話大歓迎!プロレスファンは一番包容力と妄想力あるからね。これはまぎれも無い事実だがんね!
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武藤vs.高田、三沢vs.鶴田あたりのギブアップ決着は、説得力あっただねかや? プロレスバカ話、またさいや! おっと、こっちは2時過ぎたわ。また!
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どうです? バカでしょ?
いいおっさんが、夜中(日本は)にする会話でしょうか?
しかも、30年ぶりなのに。海をこえてるのに。
最後のあたりは、僕たちの田舎の方言です。はい、「ゲゲゲの女房」弁です。

何年たとうと、幼い頃の友人と話すと、幼いまんまなんだよなー。
でも、そういう友人が、たとえ海の向こうであろうと、いるっていうことがありがたいですね。

なあ、またバカ話、さいや(しようぜ)!

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