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2015年6月

2015.06.27

街の小さな本屋さん

いつも行く、近所の街の本屋さん。
今日は、入口付近に小さな子どもたちが集まっていました。

『テレビマガジン』や『コロコロコミック』などの雑誌を数人で見ながら、お気に入りのキャラクターについて、ワイワイ。
お店の中から店員さんが、台車に本を積んでやってくる。
「ちょっとごめんねー、通してねー」

女の子が、店内のポスターに気がつきました。
「あっ、ふなっしー!」
そして、子どもたちは、導かれるように店内へ……。

本屋さんには、子どもが似合う。
うれしくなって、僕もついつい店内へ。
あ、こんな新刊が出てる……。
あ、新潮文庫のフェアに、あの地味だけどとってもいい本が選ばれてる……。
あ、読みたかった本が、文庫になってる……。

しょっちゅう来てるのに、毎日新しい発見がある。
小さな子どもたちなら、もっといろいろなものを見つけるだろうな。

本屋さんには、子どもが似合います。
あの子たち、「今日の一冊」を買ってもらえるといいなあ。
大事に抱えて持って帰って、ドキドキしながら袋をあけてくれるかなあ。

街の本屋さん。
語りだしたら止まらないほど、思い出があります。
生まれた街で。通学した街で。一人暮らしをした街で。ちょっと出かけた街で。

超大型書店じゃ、子どもは迷子になっちゃう。
そんなに高い書棚、子どもには手が届かない。

街にある本屋さんの役割は、とっても大きいと思います。
そういう本屋さんを支える人たちもいます。
僕は、ずっと街の本屋さんの味方でいたい。

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2015.06.20

カチンときた

「カチンとくる」「カチンときた」「カッチーン!」などなどの表現がありますね。
「カチンがきた」「カチンがくる」とはいいませんね。
なぜ「カチン」の後には「と」という助詞しか続かないのでしょう?

「と」が続くということは、「カチン」の他に、もうひとつ何かがある、ということではないでしょうか。

カチンには、妹がいます。「コチン」です。
兄のカチンは、気が短くて、いつもぷりぷりしています。
何かあるたびに、すぐに「カッチーン!」。

妹のコチンは、おおらかな性格で、いつもニコニコしています。
穏やかな心をもっていて、「お兄ちゃん、そんなにカリカリしなくても……」と、いつもなだめています。

腹がたって、兄のカチンが頭から湯気を出しているときでも、たいがい妹のコチンは冷静です。
カチンが現れたとき、かならず近くにコチンもいるのです。

しかし、そんなやさしいコチンも、怒るときがあります。
兄妹が、一緒になって腹をたてるのですから、よほどのことです。

「カチン! コチン!」
は、とんでもない事態なわけです。こうなってしまったら、誰も兄妹をとめることはできません。

誰の中にも、カチンとコチンはいます。
カチンはわかりやすいのですが、コチンは何のためにいるのでしょう?
そこで、人々はコチンに尋ねます。
「きみ、誰と来たの?」
「カチンときた」

だから、「カチンがきた」でも「カチンがくる」でもなく、「カチンときた」なのです。

実はこの兄妹を題材にした、「カチンときた!」というアニメ番組が、昭和の時代に作成されたことがあります。
毎回クライマックスでは、あまりに理不尽な事態に、兄妹が一緒に怒ります。
「カチン! コチン!」
まあ、水戸黄門の印籠のようなものです。

手塚治虫先生も絶賛したというこのアニメ番組、開始直後に打ち切りとなったため、ほとんどの人がその存在を知りません。
なぜ打ち切りになったのか。
残念なことに、キメ台詞の「カチン! コチン!」の中に、放送するのには不適切な単語が隠されていたからです。

幻の名作、「カチンときた!」はいまでは誰も見ることができません。
ただ、「誰の心の中にも、カチンとコチンがいる」ということは、時代を超えた真実なのです。

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